クールファイブ歴代メンバーの現在と死因|前川清ら伝説の歩み
昭和から平成の歌謡界を席巻し、「長崎は今日も雨だった」や「東京砂漠」など数々の名曲を世に送り出した伝説のムード歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」。直立不動で圧倒的な美声を響かせる前川清と、洗練されたコーラスと高い演奏技術を誇るメンバーのコントラストは、音楽番組のみならずバラエティ界でも一世を風靡しました。
結成から長い年月が経過した今、「メンバーの現在の活動状況はどうなっているのか」「リーダーの内山田洋さんの死因や他界されたメンバーの真相」「脱退理由や再結成の経緯を知りたい」という声が改めて高まっています。本記事では、当時の貴重な証言や公開データを踏まえ、歴代メンバーの足跡と現在地を徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:リーダーの内山田洋さんは2006年に肺がんのため70歳で逝去。同年のNHK紅白歌合戦では前川清を中心にオリジナルメンバーが集結し、奇跡の再結成が実現しました。
- 要点2:リードボーカルの前川清は1987年に脱退後も第一線で活躍を継続。宮本悦朗や小林正樹など、各メンバーも音楽活動や実業などそれぞれの道を歩んでいます。
- 要点3:単なるムード歌謡にとどまらず、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』で培った高い大衆性と確かな音楽性が、世代を超えて再評価され続けています。
【歴代メンバー一覧】クール・ファイブの担当楽器と基本プロフィール
内山田洋とクール・ファイブは、1967年9月に長崎のグランドキャバレー「銀嶺」の専属バンドとして結成されました。翌1968年に前川清がリードボーカルとして加わり、自主制作盤「西海ブルース」を経て、1969年2月に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビュー。同年の日本レコード大賞新人賞を受賞し、一躍トップスターへと駆け上がりました。
| メンバー名 | 担当楽器・パート | 生年月日・出身地 | 現在の動向・備考 |
|---|---|---|---|
| 内山田 洋(リーダー) | ギター、コーラス | 1936年6月6日生 福岡県柳川市 | 2006年11月3日逝去(享年70) 死因:肺がん |
| 前川 清 | メインボーカル | 1948年8月19日生 長崎県佐世保市 | 現役歌手・タレント 1987年ソロ転向後も大活躍 |
| 宮本 悦朗 | ピアノ、キーボード、コーラス | 1948年1月15日生 長崎県対馬市 | 音楽活動・実業・講演 「欽どこ」のキャラクターでも人気 |
| 小林 正樹 | ベース、コーラス | 1943年11月24日生 長崎県長崎市 | 音楽プロデュース・演奏 グループの音楽的屋台骨 |
| 岩城 茂美 | サックス、フルート、コーラス | 1942年1月5日生 熊本県 | 再結成ステージ等に参加 重厚な管楽器サウンドを担当 |
| 森本 繁 | ドラムス、コーラス | 1942年10月23日生 長崎県 | リズムセクションを担当 オリジナルメンバーとして貢献 |
クール・ファイブの最大の特徴は、単なるバックバンドではなく、メンバー全員が卓越したコーラスワークを担当していた点にあります。ジャズやラテンをバックボーンに持つ確かな演奏技術が、哀愁漂うメロディに深い陰影を与えていました。

リーダー・内山田洋の死因と「前川清とクールファイブ」再結成の軌跡
グループの精神的支柱であり、編曲やサウンドディレクションを一手に引き受けていたリーダーの内山田洋さんは、2006年11月3日、肺がんのため横浜市内の病院で逝去(享年70)されました。
内山田さんの訃報は芸能界に大きな衝撃を与えましたが、そのわずか2ヶ月後、ファンを涙させる歴史的瞬間が訪れます。同年の大晦日に放送された『第57回NHK紅白歌合戦』において、ソロとして出場していた前川清のバックに、宮本悦朗、小林正樹、岩城茂美、森本繁のオリジナルメンバーが集結したのです。
ステージ上では、亡きリーダーの内山田さんの愛用ギターがスタンドに飾られ、6人で奏でているかのような演出の中で代表曲が披露されました。前川清はこのステージについて「内山田さんへの追悼の意味を込めた一夜限りの再結成」と語っていましたが、その後もファンの熱い要望に応える形で「前川清&クール・ファイブ」としての特別公演や周年コンサートが度々企画されることになりました。
前川清の脱退理由とソロ転向|不仲説の裏にあった真実
グループの黄金期を築いた前川清ですが、1987年にグループを正式に脱退し、ソロ歌手へと転向しました。当時、一部のメディアでは「メンバー間の不仲」や「ギャラの配分を巡る対立」といった憶測が報じられましたが、実際の理由は全く異なるものでした。
当時のインタビューや関係者の証言によると、脱退の直接的な契機は「表現者としての自立と、グループのマンネリ化打破」にありました。1970年代半ばから『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(欽どこ)に出演し、お茶の間の人気者となったことで、前川個人の知名度は突出していきました。しかしその反面、「クール・ファイブの前川清」という固定化されたイメージの中で、新しい音楽的アプローチを試みることに限界を感じ始めていたとされています。
内山田洋さんも前川の才能と葛藤を深く理解しており、引き止めることなく「清のやりたいようにやってみろ」と背中を押して送り出しました。事実、脱退後も両者の私的な交流は途切れることなく続き、後年の再共演時にも強い信頼関係で結ばれていたことが証明されています。

【実態検証】宮本悦朗・小林正樹ら各メンバーの現在と生存状況
ネット上の一部では「クール・ファイブのメンバーは全員亡くなったのか?」といった誤った噂が散見されますが、これは事実ではありません。内山田洋さんをはじめ他界されたメンバーもいますが、それぞれの現在地はしっかりと刻まれています。
ピアノ担当の宮本悦朗は、『欽どこ』で萩本欽一から「宮本君」と振られて見せる独特のキャラクターで国民的知名度を獲得しました。グループ活動の落ち着き以降は、音楽活動を続けながら実業家としての才覚を発揮し、カラオケ関連ビジネスや健康関連事業、各地での講演活動など多方面でエネルギッシュな活動を展開してきました。
ベースの小林正樹は、職人気質のミュージシャンとして音楽界に貢献。コーラスの低音パートを支え続けた重厚な声量とベーステクニックは健在で、前川清の節目となる特別ステージや歌謡イベントにも度々顔を見せ、ファンを喜ばせています。
サックスの岩城茂美、ドラムの森本繁らも、年齢を重ねる中でメディアへの露出頻度は減ったものの、昭和歌謡を振り返るアーカイブ特番や記念企画において、その功績が高く評価され続けています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解
クール・ファイブを振り返る上で、現代のリスナーが見落としがちな重要ポイントが2点存在します。
第1の誤解は、「前川清のワンマンバンドだったのではないか」という見方です。テレビの画面構成上、リードボーカルの前川清が前面に出る構成が多かったため、バックの5人は単なるコーラス隊と誤認されがちでした。しかし実際は、全盛期の楽曲アレンジやライブの構成は内山田洋を中心とするバンドメンバーが主体となって構築しており、ジャズやR&Bのエッセンスを歌謡曲に注入したパイオニア的存在でした。
第2の誤解は、「バラエティ番組への進出はグループの格を落とした」という偏見です。1975年の『欽どこ』出演当時、本格派ムード歌謡グループがコントに挑戦することは芸能界でも異例の冒険でした。しかし、メンバー各自が無口でシュールなリアクションを演じたことで、楽曲の哀愁とお茶目な人間味の「究極のギャップ萌え」を生み出し、結果としてレコードセールスの長期安定と幅広いファン層の獲得につながったのです。
【プロの結論】長寿グループが示す「個の自立と組織の絆」
内山田洋とクール・ファイブの歩みは、現代の組織論やタレントマネジメントの観点からも極めて示唆に富んでいます。
多くの音楽グループがメンバー間の嫉妬や権利闘争によって空中分解していく中、クール・ファイブは「突出した才能(前川清)を活かしつつ、全員の個性をテレビバラエティで開拓する」という柔軟な役割分担を果たしました。さらに、独立後もリーダーへの敬意を失わず、内山田さんの逝去時には阿吽の呼吸で集結した絆の深さは、健全な心理的境界線(バウンダリー)が保たれていた証左です。
昭和歌謡の黄金期をリアルタイムで知らない若い世代であっても、彼らの楽曲「東京砂漠」や「そして、神戸」に耳を傾ければ、一切の打ち込みを使わない生演奏のグルーヴと、完璧なコーラスワークの迫力に圧倒されるはずです。

【クール ファイブ メンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:リーダーの内山田洋さんの死因は何でしたか?
A1:内山田洋さんは2006年11月3日、肺がんのため70歳で逝去されました。亡くなる直前までグループの将来や音楽活動への情熱を持ち続けていました。
Q2:クール・ファイブのメンバーで現在も活動している人は誰ですか?
A2:リードボーカルの前川清はソロ歌手・タレントとして最前線で活動中です。ピアノの宮本悦朗やベースの小林正樹らも、実業や音楽制作、記念コンサートへのゲスト出演など、それぞれの分野で活動を継続しています。
Q3:前川清がクール・ファイブを脱退した理由は何ですか?
A3:不仲によるものではなく、「ソロ歌手としての表現領域を広げるため」の前向きな独立でした。リーダーの内山田洋さんも前川の背中を押し、脱退後も良好な関係が続いていました。
Q4:『欽どこ』で「宮本君」として話題になったのは誰ですか?
A4:キーボード・コーラス担当の宮本悦朗です。萩本欽一との絶妙なやり取りや独特のキャラクターでお茶の間の人気者となりました。
まとめ:時代を超えて輝き続ける伝説のムード歌謡
内山田洋とクール・ファイブは、卓越した演奏力と類まれなボーカル、そして大衆に愛される親しみやすさを兼ね備えた、日本歌謡史における唯一無二のグループでした。
リーダー内山田洋さんの旅立ちから時が流れた現在も、前川清をはじめとするメンバーの魂は色褪せることなく受け継がれています。配信サービスや再評価ブームを通じて、彼らが残した名曲の数々は、これからも世代を超えて聴き継がれていくはずです。 (出典: クール ファイブ メンバー(Yahoo!ニュース))