国民栄誉賞の歴代受賞者一覧と辞退の真相!王貞治から羽生結弦まで徹底解説
日本中を歓喜の渦に巻き込み、社会に明るい光を灯した偉人たちに贈られる「国民栄誉賞」。1977年に内閣総理大臣表彰として創設されて以来、昭和・平成・令和の各時代を象徴するスポーツ選手や文化人、音楽家たちがその栄誉に浴してきました。しかし、その華々しい授賞式の陰には、知られざる選考の舞台裏や、辞退を選んだトップランナーたちの厳格な美学が存在します。
第1号となった王貞治氏の世界記録達成から、フィギュアスケートの羽生結弦選手による個人最年少受賞、さらには「なでしこジャパン」の団体受賞まで、歴代の授与理由と副賞記念品の全貌を徹底解剖します。あわせて、イチロー氏をはじめとする辞退者たちがなぜ栄誉の打診を拒否したのか、その真相と心理的背景にも迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:国民栄誉賞は1977年の王貞治氏から始まり、歴代27の個人・1団体が受賞(令和期までの確定データに基づく)。
- 要点2:受賞者には本賞表彰状と盾のほか、上限約100万円相当の特注記念品(銀時計、漆器、熊野筆など)が贈呈される。
- 要点3:イチロー氏(計3回辞退)や大谷翔平選手、福本豊氏らが打診を固辞した背景には、現役プレーヤーとしてのストイックな矜持がある。
【歴代受賞者一覧と年表】王貞治の第1号から最年少・羽生結弦までの歩み
国民栄誉賞は、当時の福田赳夫内閣がプロ野球選手・王貞治氏の通算本塁打世界記録(756号)達成を称えるために創設した制度です。以降、スポーツ界のみならず、映画、音楽、伝統芸能、学術など幅広い分野から受賞者が選ばれてきました。まずは、その歴史を俯瞰できる一覧データを確認します。
| 受賞者(敬称略) | 授与年 / 内閣 | 主な受賞理由 | 贈呈された主な記念品(副賞) |
|---|---|---|---|
| 王貞治 | 1977年(福田内閣) | 通算本塁打世界新記録(756号)達成 | 鷲のブロンズ像 |
| 古賀政男 | 1978年(福田内閣) | 数々の名曲を作曲し国民に希望を与えた功績(没後) | 銀製花瓶 |
| 美空ひばり | 1989年(宇野内閣) | 昭和を代表する歌声で大衆を魅了(女性初・没後) | 花瓶(漆塗蒔絵) |
| 高橋尚子 | 2000年(森内閣) | シドニー五輪女子マラソン金メダル獲得 | 銀製置時計 |
| 2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表(なでしこジャパン) | 2011年(菅内閣) | W杯初優勝、東日本大震災直後の日本に勇気を与えた(団体初) | 熊野化粧筆(選手・スタッフ全員分) |
| 長嶋茂雄 / 松井秀喜 | 2013年(第2次安倍内閣) | プロ野球界・MLBでの偉大な足跡と師弟の絆 | 金箔製バット |
| 羽生結弦 | 2018年(第4次安倍内閣) | 五輪男子シングル66年ぶり連覇(個人最年少・23歳) | 記念品辞退(本賞のみ受領) |
| 国枝慎吾 | 2023年(第2次岸田内閣) | 車いすテニスで生涯ゴールデンスラム達成(パラスポーツ初) | 特注ラケットフレームデザインの漆塗り盾 |
歴代の受賞年表を振り返ると、黒澤明監督(1998年没後受賞)や渥美清氏(1996年没後受賞)、国民的作曲家の服部良一氏(1993年没後受賞)など、亡くなった後にその生涯の業績を称えられて贈られたケースも少なくありません。一方で、2018年の羽生結弦選手は当時23歳という個人最年少記録での受賞となり、現役アスリートとしての圧倒的な存在感を証明しました。

【受賞理由まとめ】歴代の偉人たちが残した社会的インパクトと選考基準
国民栄誉賞の授与基準は、内閣総理大臣の決定による「国民栄誉賞創設について」(1977年閣議決定)において、以下のように明確に定められています。
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えること」
この基準が示す通り、単に数字上の世界記録を樹立したことだけでなく、「その時代において国民感情をどれだけ鼓舞したか」という社会的インパクトが極めて重視されます。
東日本大震災の年に輝いた「なでしこジャパン」の団体受賞
その典型例が、2011年に団体として初めて受賞したサッカー日本女子代表「なでしこジャパン」です。東日本大震災直後の未曾有の国難の中、強豪アメリカを決勝で破りFIFA女子ワールドカップを制覇した戦いぶりは、まさに「社会に明るい希望を与えた」象徴として全会一致の評価を受けました。個人枠にとどまらず、チーム全体を1つの表彰対象とした柔軟な判断は、当時の世論からも強い共感を集めました。
生前の偉業と「没後叙勲」の違い
国民栄誉賞は国家の公式勲章(旭日章や瑞宝章など)とは異なり、内閣総理大臣の政治的裁量によってスピーディーに授与できる特徴があります。美空ひばり氏や吉田正氏のように、長年にわたり大衆文化を支え続けながらも生前に叙勲の機会が少なかった文化人に対し、死の直後に国民の哀悼と感謝の意を形にするセーフティネット的な役割も果たしてきました。
【実態検証】イチローや大谷翔平が「打診拒否」した知られざる真相
栄誉ある賞である一方、打診を受けながらも自らの意志で辞退した人物が存在します。広く報道各社の取材や本人の公式会見で確認されている主な辞退者は以下の4名です。
- 福本豊(1983年):元阪急ブレーブス。当時の世界記録となる通算939盗塁を達成した際、中曽根康弘内閣からの打診を辞退。
- 古関裕而(1989年・遺族辞退):国民的作曲家。『六甲おろし』『栄冠は君に輝く』など多数を作曲。没後、遺族が辞退。
- イチロー(鈴木一朗 / 2001年・2004年・2019年の計3回):メジャーリーグでMVP受賞時、シーズン最多安打(262安打)達成時、引退時。
- 大谷翔平(2021年):MLBで日本人初となる満票MVP受賞時、岸田内閣からの打診を辞退。
「そんなんもろたら立ちションもでけへん」福本豊氏の庶民感覚
福本豊氏が残したとされる「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」というフレーズは、関西人らしいユーモアとして有名です。しかし、当時の関係者取材によると、その本質は「自分のような一介のプロ野球選手が、国家から過度に崇められる賞をもらうのはおこがましい」「ファンの前で自然体のプレーヤーであり続けたい」という純粋なプロフェッショナリズムに基づく辞退でした。
イチロー氏が貫いた「現役生活への区切り」とモチベーション
イチロー氏は通算3度にわたり打診を固辞しています。2001年の新人王・MVP獲得時、そして2004年のMLBシーズン最多安打記録更新時、イチロー氏は「まだ現役でプレーを続けており、人生の途上である。賞をいただくことで自分のモチベーションが損なわれることを避けたい」という旨を伝えています。
さらに2019年の現役引退時にも、政府関係者からの非公式な打診に対して「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」と回答し、生涯を通じて自己研鑽を続ける決意を示しました。完成された功績への評価よりも、未来への向上心を優先する姿勢は、多くのファンの胸を打ちました。
大谷翔平選手が語った「まだその段階ではない」という謙虚さ
2021年に打診を辞退した大谷翔平選手も、官房長官を通じた発表において「今回はまだ早い。将来に向けてもっと高いレベルを目指したい」という意向を示しました。自らのキャリアの天井を決めず、さらなる高みを目指すアスリートにとって、公的な「総括」を受けることは時期尚早であるという明確なバウンダリーが引かれています。

【記念品・副賞の舞台裏】上限100万円ルールの謎と各受賞者の贈呈品
国民栄誉賞の受賞者には、内閣総理大臣名の表彰状および記念盾とともに「副賞(記念品)」が贈られます。ここで多くの人が疑問に抱くのが「賞金は出ないのか?」という点です。
公金支出と「100万円相当」の規定
国の公費から支出されるため、税金の使い方としての妥当性を保つ目的から、記念品の調達額は「概ね100万円程度」という実務上の目安が設定されています。現金そのものが授与されることは一切ありません。この限られた予算の中で、受賞者の個性や功績に合わせた特注品が制作されます。
- 伝統工芸品と技術の結晶:森光子氏には「蒔絵の漆塗り文庫」、長嶋茂雄氏・松井秀喜氏には金沢の伝統技術を用いた「金箔製バット」が贈られました。日本の優れたものづくりを国内外に発信する機会としても機能しています。
- なでしこジャパンへの熊野筆:団体受賞となったサッカー女子代表には、広島県の伝統工芸品である「熊野化粧筆」が選ばれました。女性選手たちへの敬意と実用性を兼ね備えた選択として大きな話題を呼びました。
- 羽生結弦選手の「記念品辞退」という異例の判断:羽生選手は2018年の授賞時、「被災地をはじめとする皆様の支えがあってこその受賞であり、自分個人として記念品を受け取るのは恐縮である」として副賞の受け取りを辞退しました。表彰盾のみを受け取り、記念品費用を辞退したこの行動は、彼が背負う震災復興への強い責任感を物語っています。
【社会学的考察】なぜ国民栄誉賞は議論を呼ぶのか?政治利用批判と国民感情
国民栄誉賞の歴史は、常に賞賛と同時に「政治的なタイミングへの疑念」という影を背負い続けてきました。社会学およびメディア論の視点から、この賞が抱える構造的な論点を整理します。
政権浮揚・支持率対策という批判の構図
内閣総理大臣が自らの裁量で授与を決定できる仕組み上、国政選挙の前や内閣支持率が低下した局面で授与が発表されると、野党や一部メディアから「支持率アップのための人気取り」「政治利用」との批判が巻き起こることが通例化しています。国民的スターの輝かしい業績が、政治的文脈と結びついて語られてしまうリスクは、制度設計当初から内在している課題です。
【プロの結論】名誉を巡る個人と国家の健全な距離感
アスリートやアーティストは、国家のために記録を出したり作品を生み出したりしているわけではありません。自身の情熱、チーム、そしてファンとの絆のために極限の戦いを続けています。国家がその成果を公的に承認すること自体は名誉である一方、受賞者自身が「国家の枠組みに回収されない自立性」を保つこともまた尊ばれます。
イチロー氏や大谷選手のように、自身の現在地を冷静に見つめ直して打診を辞退する姿勢も、王氏や羽生選手のように国民の期待を背負って堂々と受諾する姿勢も、根底にあるのは「自身の表現・競技に対する絶対的な誠実さ」です。外的な名誉に振り回されず、自己の内面規範に従って判断を下すことこそが、真のトッププロフェッショナルが示す最大の教訓と言えます。

【国民栄誉賞の歴代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:国民栄誉賞の第1号は誰で、どのような理由で授与されたのですか?
A1:1977年9月3日に元プロ野球選手の王貞治氏(当時・読売ジャイアンツ)が受賞しました。通算756号の本塁打を放ち、メジャーリーグのハンク・アーロン氏が持っていた世界最高記録を更新した偉業を称えるため、当時の福田赳夫首相によって創設・授与されました。
Q2:イチロー氏はなぜ国民栄誉賞を辞退し続けたのですか?
A2:2001年、2004年、2019年の計3回打診されましたが、一貫して「プレーを続けている間は栄誉をいただくべきではない」「人生を締めくくるときにいただけるよう励みたい」という理由で辞退しました。自身の成長を止めないための極めて高いプロ意識が理由です。
Q3:国民栄誉賞を受賞すると賞金はいくらもらえますか?
A3:賞金は支給されません。授与されるのは表彰状と盾、そして「概ね100万円相当」を上限とする特注の記念品(副賞)のみです。記念品には銀時計や伝統工芸品などが選ばれます。
Q4:歴代で最も若い受賞者は誰ですか?
A4:フィギュアスケートの羽生結弦選手です。2018年に冬季五輪の男子シングルで66年ぶりの2連覇を達成した功績により、当時23歳で個人最年少受賞を果たしました。
Q5:これまで何人が受賞していますか?
A5:制度創設以来、27の個人と1団体(なでしこジャパン)に授与されています。そのうち、美空ひばり氏や渥美清氏など没後に授与されたケースが複数含まれています。
まとめ:時代を映す鏡としての国民栄誉賞と今後の展望
国民栄誉賞の歴代受賞者と辞退者の歩みを振り返ると、そこには昭和・平成・令和という各時代の日本社会が求めた「希望のかたち」が鮮明に浮かび上がってきます。世界を驚愕させたホームランから、震災の暗闇を照らしたサッカーの奇跡、そして氷上の完璧な演技まで、彼らが残した足跡は今も色褪せることはありません。
受諾したレジェンドたちの誇り高き覚悟はもちろんのこと、あえて賞を辞退して自らの道を黙々と究め続けるチャレンジャーたちの姿勢もまた、私たちに深い感銘を与えてくれます。今後もどのような偉人が現れ、混迷する時代に希望の光を灯してくれるのか、その選考と動向から目が離せません。 (出典: 国民 栄誉 賞 歴代(Yahoo!ニュース))